PARADOX - NOTE
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今回は特定の事件から離れ、世間一般の報道について書いてみたいと思います。

ゲームや漫画の名がよく報道でピックアップされますが、この傾向は好ましくないと考えています。
確かな根拠もないままに、「悪いのはゲームや漫画だ」という論調になっているためです。
容疑者がそれらに触れたから犯行を思いついた、というケースが「まったく存在しない」とは言いません。しかし――これは私の持論に過ぎない、と前置きしますが――多くは因果関係が逆なんです。「作品に影響を受けて犯行に走った」のではなく、「以前から犯罪に走る因子を持っており、性格的に好む作品をたまたま所持していただけ」ということ。

内に秘めた願望に近いものを好むというのは、当たり前のことです。
あらゆる趣味・趣向に同じ事が言えます。決して特殊なものではありません。
ほとんどの人は危険な願望を理性で押さえ込みます。フィクションはフィクションとして楽しみ、その中のネガティブな一要素を現実に反映させたりはしないんです。
ここが要点です。

考えるべきは「願望を表面化させてしまった容疑者の心」ということになります。
外的要因(特定の作品)そのものに目を向けていても、根本的な解決にはなりません。
対症療法を行っても原因がなくなるわけではない。
本当に治したいなら原因療法を行う必要がある。

犯行のきっかけを特定の作品に求める報道が目立ちますが、それらの多くは内的要因を軽視したものと言わざるを得ません。容疑者が抱えた事情や内面を無視したまま、特定の作品がすべての原因であるかのような報道が行われる。
これは非常に安易、かつ危険であると考えます。

――――――――――――――――――

容疑者の内面という事項に関連して、もう少し突っ込んでおきます。
「容疑者は、学校の卒業文集にこんな作文を寄せていた」などという報道が行われます。
奇妙な一文があればそこを取り上げて「少年時代から怪しいところがあったようだ」。
明るい作文であれば「こんな普通の子がなぜ事件を起こしたのか分からない」。
そして「人格の歪みに、漫画やゲームが影響を与えたのではないか」と結ばれる場合もあります。

私は、これを「非常に浅はかである」と主張したい。
「容疑者はこんな残酷な漫画を好んで読んでいた」という報道と、本質がまったく同じです。
人間の心が軽視されている。

なぜなら「容疑者が作文に本心を書いたとは限らない」からです。例えば、本心を書くと不都合があると感じた場合、それを隠して文章を組み立てるでしょう。あるいは、面白おかしくフィクション風味に仕立て、それを提出することもあるでしょう。
これは学校に限らず、会社や近所付き合いでも当たり前のことではないでしょうか。本心を外に垂れ流すというのは、基本的にあり得ないことです。円満な付き合いのために、誰もが本心を隠して「無難な振る舞い」をしているはずです。
あるいは、あくまでも冗談として、残酷な表現や言葉を用いる場合もあるでしょう。

しかしワイドショーなどは、容疑者の作文や卒業アルバムに寄せたコメント、そして私室から発見された漫画やゲームを論拠に「容疑者の人格は」「犯行に至った原因は」と論じ始める。
それを鵜呑みにする視聴者がいる。

これほど危険なことはないでしょう。
冷静に考えれば「いやいや、前提がおかしくないですか?」と分かるはずです。
(報道番組の出演者などは「分かっているが口に出さない」だけなのかも?)

マスコミだけではない。
視聴者=国民の問題でもあるんです。
似たような報道は漫画・ゲーム関係に限らず、至る所で行われています。
作り出されたイメージに惑わされないよう、冷静に考えていきたいところです。
「この論は本当に合っているのか?」
「対象の本当の姿が報道で歪められていないだろうか?」
といった視点を忘れないようにしたいですね。


テーマ:マスコミ - ジャンル:政治・経済


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