PARADOX - NOTE
考察サイト「PARADOX」管理人、KEIYAによる雑記Blogです。
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……尖ってるなあ(笑)。
ホラーというジャンルは広く一般に受け入れられる普遍性を持ちにくい。万人が諸手を挙げて受け入れるような作品では断じてない。そこは大前提。
サイレントヒルは原作が元々マニアックで、頭を働かせないと気づかない要素も多い。映画でもその路線は外していないみたいだ。渋いね。いいぞ監督もっとやれ。この人は本当にサイレントヒルの良さを理解している。

ちなみに映画を鑑賞するにあたって、ゲーム版の知識は一切必要ない。必要な情報は全て映画の中に入っているので、「ゲームをやっていないからよく分からない」という事態にはならない。その辺はご安心。
ただし作品を理解しようと努める姿勢は当然ながら必須。
受け身では見えてこないものもある。

時間配分と構成は典型的なエンターテイメント映画のそれを踏襲していて、奇をてらったところは全くありません。導入部(設定部)30分、展開部60分、結末部30分。時間を計りながら鑑賞してたけど、おおよそこのパターンに沿っている。オーソドックスな構成です。
……が、内容がちょっと尖っているので注意せよ。人を選ぶぞ。
あとスプラッタ要素がやや強いので苦手な人は注意だ。

ゲームファンらしきオタクグループがスタッフロール途中でべらべらしゃべり出したので軽く怒(#・∀・)
ゲームの映画化だとこの罠があったか……(´・ω・)

以下はネタバレ感想。
本当にただの感想であって、考察ではございませんことよ(お嬢言葉?

※28日0:10頃にちょっと追記しました。
■ローズの行動
ローズはどうして女警官シビルを振り切って車を走らせたのか。怪物に襲われたのに娘を捜し続けたのはなぜか。トイレの死体からプレートを取り上げたのは? シャロンを探すローズは異常だ。狂気に染まっているように見える。
だが、それを基にしたプロットが用意されていないため、この解釈には無理があるようにも思う。すると彼女の行動に説得力がなくなってしまう。脚本の評価をマイナス方向に振らざるを得ないポイントだった。母としての愛情、という一点ではさすがに弱い。
2のジェイムスのように正常な精神状態ではない、という仮定をしつつ観ていたのだが、肩すかしを食らった気分。「シャロンは精神病院に通っていた」という会話があるため、薬物や一家の状況を絡めたエピソードが狂気や真相に絡むと予想したが、こちらもなかった。シャロンに以前から異常があったことを匂わせるためだけに用意された台詞のようだ。

■罪とテーマと手錠
「サイレントヒルは罪を背負った人間が迷い込む街」という解釈は当てはまらない。ローズが手錠をかけられたまま彷徨うシーンは、彼女が何らかの罪を犯したことの隠喩と考えていたのだが……。
手錠は危機感を煽るためだけのアイテムだったのか。そうするとかなり浅いし、シビルから逃げ出す行動も非常に不可解なまま終わる。仮にローズが罪人であるという解釈で行くなら、それは現実世界やシャロン・アレッサではなく「街の教団に対して」という意味になる。
神をあがめ悪魔を罵った教団にとっての「罪人」であれば、それを破壊する鍵となったローズに手錠がかけられたことにも意味が出てくる。もしくはシャロンの母であろうとする彼女が、結果として悪魔的な存在になっている点を表現したのか。
ローズを誘拐犯と疑い一時は拘束しながらも、最後は彼女のために身体を張ったシビルと併せて、物語全体の流れを凝縮したギミックだと言えるかもしれない。ただし全編を通して危険を顧みないローズの行動に説得力が欠けているのは変わりなく、非常に惜しいところだ。

サイレントヒルは精神や脳に異常がないと入り込めない世界だろう。ローズは自動車、シビルはバイク事故によるダメージがきっかけとなっている。頭部を打っているのがポイントだ。ただし二人とも子供にまつわるエピソードを持っており、それが心の重要な部分を占めていることが語られた。二人が街に入り込んでしまったのは後者のファクターが大きく、前者はただのきっかけに過ぎない。シビルが死の直前に母を呼んだことからも明らかだが、この映画では「母」がテーマになっている。二人のキャラクターはここに基づいた配置をされていた。シャロンを助けようとするローズ、誘拐された子供を助けて励まし続けたシビルは、共に「母」としての役割を担っていたからだ。
シビルが焼き殺されたのは教団への怒りを増す作用を持っている。これがクライマックスの虐殺にカタルシスを与えているが、彼女が悪人ではなかったことから、一般論としては否定的な意見が台頭することになるだろう。死ぬべき理由がそれ以外には見つからず、「プロットのために殺された」という印象が拭えない。良いエピソードを持っていたキャラクターだけに残念だ。ローズの行動と併せて説得力が与えられていれば、シナリオの評価はもっと高くなっただろう。

追記:灰が降るサイレントヒルはアレッサの憎悪が作り出していた世界だと考えられる。そのため、中に入り込む人物はアレッサが何らかの目的を持って導いている可能性が高い。大半の人物は復讐の対象だが、シャロンを連れてくるローズは救世主的な存在であり、シビルはローズを守るという役割を課せられて巻き込まれた可能性がある。

■結末について
シャロンとアレッサが同化し、ローズも正常な世界には戻れなくなってしまう。
後味の悪い不気味な結末だが、禁忌の存在にかかわった人物がそこから戻れなくなる、というのはこの手の話では極めて古典的なプロットであり、取り立てて批判されるべきシナリオではない。
シャロンは冒頭部においてすでに街の炎とアレッサに「呼ばれて」おり、落書きと併せて二人が同一の存在であることの伏線となっていた。より以前から精神病院に通っていたというのも、シャロンが本質的にアレッサの分身であることを匂わせるための台詞だろう。
ローズがアレッサのために行動すると決意した時点であの結末は不動のものとなった。シャロンがアレッサに乗っ取られたというよりも、「二人が本来そうであるべき一個の存在に戻った」と考えるのが正しい。
内部にアレッサを取り込んだローズ、そしてナイフで刺されるも傷がすぐに塞がり……と、異常な世界の住人になってしまったことは繰り返し描かれているが、これは行動の結果であり、重要な選択はそれ以前に行われている。

■アレッサの目的
教団の女性が「教会の中なら安全」と告げていたが、これはやや怪しい。
経験からそう語っているのだろうが、アレッサがその気になれば教会を滅ぼすことも可能だったのではないか。しかし彼女はローズとシャロンを待ち続けた。台詞からすると、アレッサは教団の悪行と真実を明らかにしたがっていたようだ。ローズを導き、全てを教え、狂信者たちの前で語ってもらった。それを知らしめ、宣言してから皆殺しにすることがアレッサの復讐だったのかもしれない。彼女の行動理念を考えれば、理想とする形で復讐を遂げる必要があったのだろう。
もちろんシャロンと一体化するというもう一つの目的もあったはずだ。ローズはその両方を同時に満たす「母」であり「神」になり得る人物だったということだ。

■サイレントヒルの住人について
老婆となっていたダリアはともかくとして、教団の人間はすでに普通の人間ではない……という印象。クリスタベラが特に分かりやすく、回想シーンと現在でほとんど容姿が変わっていない。脇役の狂信者たちも恐らく似たようなものだろう。
アレッサを焼いた炎が部屋に広がっていたが、あの火事が街を滅ぼした大火事に繋がったのだろうか。アレッサから憎悪を向けられたクリスタベラたちは、あの火事の中で異常なサイレントヒルに迷い込み、永遠に彷徨うことになったのかもしれない。その時点で現実の時間とは関係がなくなり、幽鬼のような存在に成り果てたのだろう。
行方不明になったままの住民というのはクリスタベラたちを含めた狂信者、およびアレッサの怒りが向けられたものたちか。幸せな生を営む子供たち、もしくはアレッサを魔女と呼んだクラスメイトを想起すれば、最初に登場した炭化した子供のクリーチャーに行き着く。
現実世界で死んだものがそのままサイレントヒルに招かれるとは考えにくい。死者が街へ入り込むのは無理だろう。アレッサにまつわる要素を持っている人間が、生きたまま一線を越えたときに初めて街の住人となるのだと思われる。

追記:母親のローズが招かれたのに父親のクリストファーが蚊帳の外だったのは、シャロンに対する思い入れの違いであると同時に、アレッサが男性に嫌悪感を抱いていたことを思わせる。コリンに暴行されたアレッサは、外部から新たな男性を招くことを拒絶しているのだろう。

■映像について
総じて素晴らしかった。特にサイレンが鳴り、世界が変質した後は「美しい」とさえ形容したくなる出来。確かにグロテスクで凄惨なシーンが連続するが、そこだけをことさらに取り上げて批判するのは建設的ではない。

私的な感想だけども、三角頭が格好良すぎる。虫の大群を引き連れて登場するシーンの威圧感といったら! もしクライマックスの戦いで奴が登場したら、興奮しすぎて失禁したかもしれない(言い過ぎ
想像してみよう。アレッサの足許に具現化し、大鉈で狂信者たちをざっくざっくと断罪しまくる三角頭……いや、もちろんラストは「アレッサが教団に復讐する」という文脈で描かれなければならないので、三角頭が出てきちゃダメなんだけどね。直接殺してくれないと。

■クリーチャー絡み
トイレで拘束されたていた男はアレッサの復讐の結果と見て間違いない。サイレンが鳴ると男は息を吹き返し、大きな声で叫び続ける。あれは苦悶の絶叫であり、犯されたアレッサが彼に永遠の苦しみを与え続けていることの証左だろう。彼はまだ本質的に死んでおらず、身動きの取れない状態で拘束され続けているだけだ。「やれるものならやってみろ」はアレッサがローズに向けた言葉だと読み取れるが、本来はあの男に対する罵詈雑言の類だと解釈できる。

三角頭は男性器の象徴では? という意見に同意したい。
2の解釈が当てはまらないクリーチャーだが、強姦という要素が映画版に適合する。トイレの落書き「やれるものならやってみろ」って何回書いてあったっけ。2回? 3回? 鉄扉を大鉈で貫く回数と一致していたら面白いかもなあ、と思った。

追記:男性器というよりも、男性そのものの象徴といったほうが正しいかも。凶暴な攻撃性、大鉈で繰り返し扉を突き破る行為、服を剥ぎ取ってから全身の肉を引き裂くという殺し方。これら性的暴行を思わせるイメージは、アレッサがコリンに抱いたイメージに重ねられていると見てほぼ間違いない。

ローズに本当の意味での危険はほとんど訪れていない。
序盤に出てくる焦げた子供たちをはじめ、ローズが危機的状況に陥るとクリーチャーはなぜか消滅してしまう。連中はローズの恐怖心を煽るだけで直接危害を加えるには至らない。恐らくアレッサの心がそうした状況を作っているのだろう。ローズを試していただけだ。いくつもの恐怖や死の危険を乗り越えてまでシャロンのために捜索を続ける……アレッサがその姿に母性を確認したからこそ、あのクライマックスが訪れる。
一方で教団の男女が殺されるシーンが複数あるが、これは当然アレッサの復讐となる。聖堂に籠もらなかった連中をたびたび殺すことで、教団に恐怖を与えようとしている。真の復讐は機会が訪れるまでお預けであり、個別に殺すのはあくまでも日常的な、些細な復讐に過ぎないのだろう。

クリーチャーは必ずしも恐怖の象徴ではない。
ホラー映画に分類される本作。クリーチャーが担っているのは殺人であり、得体の知れない存在が出てくるというスリルだった。本能に訴えかけるタイプの恐怖を演出している。ここにどれほどの恐怖を覚えるかは鑑賞者の素養によるところが大きい。
別の重要な要素として教団の所行がある。こちらは人間の心理と行動が作り出す恐怖であり、クリーチャーのそれと比べるとより深い部分に訴えかけてくる。
アレッサの心の具現がクリーチャーであるなら、人間という生き物の抽象が教団であり狂信者ということだ。現実の社会にもある差別、排他的思想も本質的には教団のそれと同様であり、信仰の有無は関係ない。いじめや蔑視は身近な学校や社会でも普通に見られる普遍的な要素である。外見こそ人間と怪物とで違っているが、本質が「人間の心」である点で両者は近しいといえる。よってクリーチャー=恐怖の象徴というのは、その本質を言い当てたものとはいえない。より根本的な部分に目を向ける必要がある。


■クリスタベラの死
わざわざ足の隙間から有刺鉄線を突っ込むところを描いていた。降り注ぐ血、そこで踊るアレッサを併せると、子宮の破壊を暗示しているのか。「母は子供にとって神も同然」という台詞を考えれば、アレッサにとってクリスタベラは「神ではない」という意味になる。彼女が教団を率いていたところにも関連づけられている。あの教団が信奉した存在は偽神であり、教団そのものも偽りであるという隠喩。ただし、あくまでもアレッサにとって、という注釈が必要かもしれない。信仰とは哲学、生き方そのものであるため、極めて主観的なもの。教団の人間にとっては真実だからだ。(ちなみに信仰を持っていない人間にとっても「信仰=考え方」と置き換えれば同じ事がいえる)
アレッサが彼女たちを殺して教団を破壊する結末は極めて象徴的だ。
何度も登場した看板「我々は御使い(天使)ですら裁くもの」はこれらの予兆と見ていいか。


■その他
シャロン、アレッサを演じたジョデル・フェルランドが素晴らしい。子役を可愛いと思ったのは「アイ・アム・サム」以来だなあ。アレッサモードの存在感も良い良い。
(・∀・)

他にも鑑賞中「ここはこうじゃね?」と考えていたものがあった気がするけど思い出せないや。思い出せないということは、きっと大した問題じゃないに違いない。多分。そうであってほしい。
以上、特に再検証もせずにつれづれと書いてきたものなので矛盾とかあってもご容赦。
なにとぞ平に、平に。



テーマ:映画感想 - ジャンル:映画


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